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ここまで

果樹園のまひる あきらめるなんて死ぬまでないから

社会に対して最初に疑問を持ったのは、小学校の授業中だった。食物連鎖の食物ピラミッドをみたあと、別の授業で少子化人口ピラミッドをみた。片や人類が多すぎると言い、片や子どもが足りないと言う。でどっちよ?と思ったのを覚えている。


管理教育全盛期、その代名詞のような地域で育った。軍隊のごとく一糸乱れぬ思考と容姿の生成に、情熱の全てが注がれる世界。チェルノブイリ原子力発電所が爆発しても、自分を取り巻く世界は何も変らなかった。未成年の頃に知ったのは、教師と警察は、もしくは大雑把に大人は腐ってるってこと。


職業としての将来の夢は、子どもの頃から全くなかった。あまり頻繁に尋ねられるので、どこかで聞いたようなことを言って取り繕うことを覚えた。高校を出る頃にさすがに何か定めなきゃと悩み、学際、体育祭等を六年間切り盛りしてきた経緯でイベントプランニングなんか関心持てるんじゃないかと思ったが、頭より腕に技術が欲しいと思い、同じように記録制作も担当してきた経験から、写真の学校に行った。この頃から舞台に魅せられ、何かしら関わりたいとも思っていた。そして卒業後、舞台カメラマンになる。


成人する少し前から、国外、主に東南アジアを歩くようになった。そこで初めて、今まで当たり前だと思ってきたこと、何の疑問も持たなかったことが大きく崩れていく。土に返らないモノ、アスファルト、肥満とダイエット、光化学スモッグ、砂漠化、貧困の意味、エネルギー、教育、衛生、紛争、地雷、宗教。初めてベルサイユ宮殿を出てパリの市街をみた人はこんな気持ちだったんじゃないかと思った。腐っていたのは教師でも大人でもなく、日本を含む先進国だった。


それから身の周りや国ではなく星を想うようになった。人類ではなく動植物全体を想うようになった。でも自らはどうすればいいのか分からず模索し続けた。冷蔵庫などの一部を除き家電の所有を止めた。プラスチック製品の使用を止めた。合成洗剤やシャンプーの使用を止めた。肌に塗るものも全て止めた。ファーストフード、ファミリーレストランチェーン店の使用を止めた。スポンサーのマクドナルド、コカコーラ、東京電力などの文字に危機を感じ、テレビ、ラジオ、新聞を見聞きすることができなくなった。自主的に肉を食べなくなった。フェアトレードを重視するようになった。購入は一票だと強く意識するようになった。軍事や原発には反対の意を表明し、知人に想うところを伝えたりもした。


そんなことを始めて最初の壁は、いくら私生活を整えても一日の半分以上は蛍光灯の元、空調の効いた部屋で電子機器に向かい、紙を大量消費し過ごしているのだというものだった。この違和感から脱するため会社のCSRプロジェクト(企業の社会的責任)を担うことで活路を見出そうとしたが大分空回りをした。ひとりでできることではないのだ。


そういう話をすると疎まれる、もしくは失笑されることが分かってきた。いわゆる「環境の仕事」といったものに就けばこの違和感から抜け出せるんじゃないかと考えるようになる。そんな種類の仕事を調べているうちにあることに気づいた。一次産業が視野に入っていないこと。ずっと三次産業の中で生きてきて思いもよらなかったのもあるし、女独りでできるもんじゃないと当然のように思っていたこともあったと思う。親も配偶者も子どももなし、地元じゃなし、そんな場所で女独りでやっていけるものなのか。その答えを出すために多くのものを見聞きし、ずいぶん時間がかかってしまった。


この国の自然や文化は好きだけれど、同時にこの国に生まれた自分が恥ずかしくて恥ずかしくて、どうしようもなく足掻いてきた。農業を始めたからといって、それらが一気に解消されるわけはない。自ら土を汚す役にもなりかねない。でも自分次第だ。誰かのせいじゃない。まずは、家族のない女が独りでどこまでやれるのか。