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広い視野とは人様の都合

穴を掘り木を植えて

ダライ・ラマ14世が2009年に初来沖したとき。「基地は撤廃されるべき。だが今はグローバルなレベルで考えろ。北朝鮮や中国を思えばアメリカはまだ必要。将来に期待」といった回答をしていて、ああこの人は男脳というか指導者視点というか、当たり前っちゃ当たり前なんだがそういう存在なんだ、と改めて失望した。


いつも感じる違和感。全体視点とか、手法とか、規約に則ってとか、そういう視点にいつも違和感を覚える。軍や核はただ不要なんだ。この星のどこにも必要ない。あってはならないものだ。単純明快にそれだけだ。人間が暮らす上での現状とか規則とか。そんなことよりもっと大前提があるじゃないか。つまらないことに縛られれば思考は狭まる。


例えば原子力発電所。代替案が問題なんじゃない。可能か不可能かじゃない。ある日、電力が全く使えなくなったとしても、それによって人類が滅んだとしても、あっちゃいけないものだ。我々の命程度と天秤にかけられるようなものじゃないのに。


例えば話題のTPP。賛成も反対も目先のことばかり。制度より消費者の意識がお粗末になっちまったことが問題なのに。金しか、価格しかみえていない。消費という選択により将来的に何が起こるのか生まれるのか、その想像力が欠落してしまった今では、どんな制度があろうがなかろうが先は知れている。その教育が啓蒙が最優先のはずだ。制度の賛成や反対なんてそのずっと後の話だろ。


こういう違和感はなにに例えればいいのか。路上でひかれて死んでいる猫がいる。こんな交通量の多いところに出てきてとか危ないとか言われる。そんなの知ったこっちゃないんだよ。アスファルトも歩道も信号も人間だけの規則。ほかの生き物はそんなこと知ったこっちゃないのに、さも規則を守らなかった問題児のように言われる。そういう違和感。視点を上げて世界全体(のルール)を見ろっていうなら、そこからさらに上げて人類枠も外して見ろよ。何が良くて悪いかは明快になる。人とか国とか金とかの事情でぐちゃぐちゃやる必要はなくなる。



追記

なんとタイムリー! 同日の2011年11月7日、ダライ・ラマ14世が都内での自由報道協会主催の記者会見に出席し、原子力についての見解を述べていた。驚いた。要約が以下。

物事を見る時には全体を見る、一面だけを見て決めてはダメ。原子力についても同じこと。破壊的な目的でなく平和目的なら? エネルギーの代替案は、途上国にとっても十分でなくてはならない。でなければ貧富の差がますます広がる。100%安全なものはない。車を運転していても食事をしていても危険はどこかにある。大切なのは安全策を最大限に考えること。

http://news.nicovideo.jp/watch/nw142265


ああ、やはりこの人はそうなんだ。核の、プルトニウムの平和利用って… 稼動する限り労働者や六ヶ所村のような生贄が必要なのに。原子力の使用も食事も同じようにリスクのあることって正気なのか。核ってそんなものじゃない。津波への備えを怠ったということはやっぱり数の論理なんだ。多数が亡くなれば被害、労働者数名の命なら問題ない。第三世界が先進国ばりにエネルギーを使ったら星はぶち壊れる。でも使う必要があるから原子力=貧富の差をなくす=平和。どんな理屈よ。エネルギーの利用を縮小しなきゃしょうがないのに。なんなんだよもう。