ハレの日

ずっとモヤモヤしているのに、思考の核がよくわからない。こういうのは苦手だ。おらはどういうわけか知らないが、ハレの日が台無しになる。ハレの日は「せっかくだから」とか「こんな時くらい」といった日本人お得意の感情で、少しのことは水に流したり、置いておいたり日常より気を使う。具体的に言えば、不機嫌になったり、小言を言ったり、スネたり、愚痴ったり、イライラしたり、我がままを言ったり、面倒臭そうにしたり、心ここにあらずであったり、まあ似たようなことだが、日頃からこんな態度は取らないけれど、普段以上に気をつける。家族旅行中は子を叱りたくないなど、誰でも普通に考えることだろう。だから失礼だなと思うことがあっても、いやいや今そんな話はよそうと一人自制してニコニコしている。そうすると相手の振る舞いがどんどん自由になっていき、私も笑顔で応答できる限界を超えてしまう・・・ というのが九割の確立で発生。これが重なると何もかもが嫌になる。苦痛だ。年を重ねても、人が変わっても、これはずっと変わらない。私は、一生この悪夢から抜け出せないのだろうか。


待ちに待った日というのは、前々からのわくわくした気持ちも含め、特別なものだ。全ての事柄がそうではあるが、人生で一度だけの特別な時間だ。大切にしすぎるということはない。その日が近づくにつれテンションをあげて、最高のコンディションで迎える日だ。


少なくともそういう些細な楽しみの日の連続でおらは生きているのであって、これより優先すべきことなどあまりないのに。そんなハレの日をことごとく潰しにかかられれば、幸せに生きていくためにいろいろと考えねばならない。だって自分を守れるのは自分しかいないのに。


いつも顔色を伺い、怒らせないようにビクビクしている自分はいやだ。ご機嫌取りばかりしている自分はいやだ。