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そうだ、葉っぱを売ろう

あきらめるなんて死ぬまでないから 穴を掘り木を植えて

みんな何者かになりたいという。何かを残したいという。富を得たいという。おらは何者にもなりたくない。何も残したくない。ただ、生まれてこのかた地球にかけた負荷を、なんとか相殺して死んでいきたい。可能なら、この体は無駄に燃やしたりせず、そのまま土に返してほしい。


「そうだ、葉っぱを売ろう」という本を、一年ほど前に読んだ。過疎が進む徳島県上勝町で、葉っぱを「つまもの」にするサクセスストーリー。ゴミ同然の葉っぱが、お金にかわる、価値がでる。お金に化けるものだけが価値がある。


それを読んで、一口に農業といっても、おらがしたいことはやっぱり商売じゃないんだと思った。ただの葉っぱは、ただそれだけで役割があるのに。住民が潤う、地域が活性化する、良い話だ。徹夜するオバァたち、年収1000万円を超える人もいる。みんな笑顔になった。良い話なんだろう。ただ、おらがしたいのは、こういうことじゃないってよく分かった。


何も成さなくていいから。ただ負債を返したい。一生かけて。いまさら一生かけても償えない。「フクシマ」以降もこの国は変わらない。何ができるだろう。生きているだけでこんなに苦しい。被爆した土を思うと、どんなやる気も一瞬で萎えてしまう。なんでわからないの?


これは誰の著書の言葉だったろう。「地球環境が危機に瀕しているいま、自分の国だけ手放しで人工を増やそうなんて、国際社会の一員として口にしてはならないことではないだろうか」