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まずは自分でやる

自分らしい孤独

白黒しか、可能不可能しか持っていなかったが、「やってみる」「やっていく」「成るようになる」そんな選択肢を足してみること。


誰かを傷つけたら反省する、謝る、繰り返さない努力をする。それ以外は、考えない、落ち込まない、ただ事実を認める。誰と過ごそうが、誰に笑いかけようが、誰を褒めようが、何を語ろうが、それはすべておらの、いちコミュニケーションだ。自虐ネタが多かろうが、若干うざかろうが、それが自分流。自分のやり方、生き方。それを誰にへつらう必要も、恥じる必要もない。良かろうが悪かろうが、それがおらなのだと笑い飛ばせばいい。胸を張ればいい。


人のせいにしない、頼らない、引きずられない。自分を心から笑わせることができるのは、誰でもない自分自身。誰かのせいで辛い思いを抱えなくていい。その思いは自分で笑いに変えればいい。どんな状況であれ、自分が楽しく過ごしていれば、それは楽しい日々だ。


うつうつとした気持ちになることはたくさんある。もう溜めといてもうつうつするだけなので書くが、一日がため息ではじまりため息で終わるもの、ダメ出しも不平不満も多すぎるのも、というか拭いきれない不満をずっと抱えているもの、多分それはそもそもおらと無関係な理由であることも、基本的な気遣いができないわけじゃなく、傷つくと知っていて敢えてやっていることも、気分悪いよ。


でも、全てじゃないにしろ理由を知っている。当たり前だが、違う環境で育った者同士なのだ。辛いときにさらに突き落としてくれたこともあったけれど、本当に辛いときに手を貸してくれた。それは機嫌取りなんかじゃない、本物の思いやりだった。同じ人だけれど、いくつかスイッチがあり切り替わる。おらを気遣う余裕のあるとき、ないとき、むしろ傷つけたいとき、とりあえずこの三つはある。


要は互いに、気に入るところも気に入らないところもあるってことだ。それを踏まえ思うべきは、「その人の正体を見極め勝手に結論付けること」ではないんだ。破壊衝動にすぐ身をゆだねたがる。きっと今までそれが間違っていた。すべきことは、まったく違う人間が二人いて互いに良いも悪いもあって、自分はどう考え、振る舞い、過ごすか。それが定まってきてからすり合わせ、二人で考えていけばいい。自分がすべきことをしないで、丸投げしたり放棄しちゃダメだ。


誰といても、どんな状況でも、まず自分で自分を笑わせてやるとこからだ。それができるようになってはじめて、人と過ごす資格があるんじゃなかろうか。


はーここまでたどり着くのに34年かかるとか情けないけどさ。みんなどうやって学習してるのか。




ここまで書いたあと、ちょうど見つけた。



まずは、ゴミを捨てられない嫁の話。ゴミ捨てをいろんな物に置き換えることができる。

おそらく妻はこのことに気がついていないし、私もそれを言うことは、妻の育ちを否定することになるので言わない。少しずつ軌道修正を行うのみである。


妻と結婚して3年以上過ぎた。

http://anond.hatelabo.jp/20110502165746


10人いたら5人とは結婚できそうと思えるのが成熟した大人という話。そう、相手次第じゃなく自分次第。

どこの世界に「何でも食える」人間がいるものか。世界は「食えないもの」で満ち満ちているのである。「何でも食える」人間というのは「食えるもの」と「食えないもの」を直感で瞬時に判定できる人間のことである。

「どこでも寝られる」はずがない。世界は「危険」で満ち満ちているのである。「どこでも寝られる」人間とは、「そこでは緊張を緩めても大丈夫な空間」と「緊張を要する空間」を直感的にみきわめられる人間のことである。

同じように、「誰とでも友だちになれる」はずがない。邪悪な人間、愚鈍な人間、人の生きる意欲を殺ぐ人間たちに私たちは取り囲まれているからである。「誰とでも友だちになれる」人間とは、そのような「私が生き延びる可能性を減殺しかねない人間」を一瞥しただけで検知できて、回避できる人間のことである。

「誰とでも結婚できる」人間もそれと同じである。誰とでも結婚できるはずがないではないか。「自分が生き延び、その心身の潜在可能性を開花させるチャンスを積み増ししてくれそうな人間」とそうではない人間を直感的にみきわめる力がなくては、「10人中3人」というようなリスキーなことは言えない。

「誰とでも結婚できる」というのは、言葉は浮ついているが、実際にはかなり複雑な人間的資質なのである。それはこれまでの経験に裏づけられた「人を見る眼」を要求し、同時に、どのような条件下でも「私は幸福になってみせる」というゆるがぬ決断を要求する。

いまの人々がなかなか結婚できないのは、第一に自分の「人を見る眼」を自分自身が信用していないからであり、第二に「いまだ知られざる潜在可能性」が自分に蔵されていることを実は信じていないからである。相手が信じられないから結婚できないのではなく、自分を信じていないから結婚できないのである。


学院標語と結婚の条件 (内田樹の研究室)

http://blog.tatsuru.com/2009/04/09_1010.php

あー久しぶりに書いたらすっごいスッキリした!!!!!