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自覚

傷ついたことを自覚するのに、いつも時間がかかる。消化不良のものを数ヶ月持ち歩き、ときどき思い出したりするうちに、やっといらっとしたんじゃなく傷ついたのかと思い当たる。


相談を持ちかけ、回答が意にそぐわなければ不満を述べるのはなぜだろう。しかも面と向かってではなく、余所で愚痴ったりする。おらにはおらの倫理や道徳がある。潔癖でも融通が利かないわけでもないが、どうしても嫌いなものはある。無自覚な悪や偽善、都合のよい解釈だ。それだけは、自身の意見としては肯定できない。ただそれだけ。大切なことは「自覚」だ。悪行であれ、不誠実であれ、自覚があるなら好きにしろ。所詮他人事だ。でも、無自覚であれ、無自覚な振りをしているんであれ、綺麗ごとに包まれたそれを後押ししてほしいと頼まれても、拒否する権利はおらにある。


欲しい答えしかいらないのであれば、鏡にでも問いかければいい。おらはイエスマンにはなれないし、それ故、当たり障りのないことを言わないからという理由で好いてくれている人もいるのだ。確かに欲しがっている言葉を酌んであげられないという短所はあるだろうが、人には、得手不得手というものがある。逆にそれを得意としている人だってたくさんいるだろう。おらにも人格や性格、考えがあり、それなりに貴重な時間を割いて向き合っている。その間の会話が思い通りに運ばないからといって、それはおらのせいではない。逆恨みされる覚えもない。


「誰もが正しくいられるわけではない」「強い人には分からない」。最後にはいつもこんな言葉。強いやつとか弱いやつとか生まれつき決まってるわけじゃねーんだよ。今だって腐んないように必死だよ。それを生まれつきで片付けないでくれ。可能なら、自分がなにやってるのか自覚を持ってくれ。