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原子力発電所

東日本巨大地震による、福島第一原子力発電所の被ばくについて。「怖い」「ひどい」「政治屋の責任」「管理者の責任」「安全はどうなっているんだ」などなど。そんなことをいってどうなるのか。遠い地で被害者になったり、無関係者になったり、責任転嫁するのは簡単なことだ。従業員をテレビで晒し者にしても、その彼らをなじってもなにも始まらない。


それよりも、今日まで「電気を使うということ」をどう考えてきたか振り返ろう。そしてこれからのことを考えよう。我が家の家電は必要最低限であるが、暮らしについて話すと大抵笑われてきた。テレビも炊飯器もエアコンもない。ネタでやっているわけでも、ファッション(笑)でやっているわけでもない。ただ、資源と生活について真剣に考えてきた結果だ。


自身の生活だけでなく、エアコンを過剰に使う職場に改善を求めてきた。先頭に立ってプロジェクトもやった。恥ずかしいことだと。「大げさ」とか、「エコの人(笑)」といわれ笑われ続けてきた。でもこういうことなんだよ。おらは恥ずかしい。今も昔もずっと恥ずかしい。電力はどこから沸いてでる? それを考えずに、「オール電化」を口にしていないか。どうしても電力が必要な人は、太陽光発電にすればいい。電気があり余っていれば原子力発電所なんて建設されないんだ。電力の大量消費をしているのは誰だ。国民一人ひとりだ。自分の家で極力使わない。職場で節電を訴え続ける。過剰な店は利用しないことで反対の意思表示をする。どんなに馬鹿にされてもやってきたよ。もっと、国民一人ひとりが真剣にやろうよ。こんな時ばかり悲しんでるんじゃなく、日頃からできることをやろうよ。今、「ヤシマ作戦」、「Twitter#setsudencopy」など、たくさんの節電への呼びかけ、賛同が広がっている。やる気になれば、みんなでやれば、普段できないこともできる。今だけで終わりませんように。


今までにも、現在も、原子力発電所の建設を止めるため戦っている人たちが大勢いるのだ。彼らが声を上げているとき、すべてをかけて戦っているとき、おらたちはなにをしていた? 起きてしまってから、誰かに苦情をいうくらいなら、現在の建設を全力で止めようよ。稼働している原子力発電所は封鎖しようよ。国民全員が反対すれば続行できるわけないんだ。嘆いたり、文句をいう暇があるなら、上関原子力発電所、浪江・小高原子力発電所の建設を阻止する力に変えよう。プルトニウムを他国に貢ぐのはもうやめよう。いつかそれが、我々が電力を消費することによてつくられたプルトニウムが大勢の人を殺す日もくるのだ。いやすでに、タヒチの核実験被害者だって日本が生んだようなものだ。そんなこと、被爆国である日本はやっちゃいけない。そして、放射性廃棄物は青森の六ケ所村へ放置してもなくならない。負の遺産は今も増え続けている。


世界から「核も戦争もいらない」との声があがっている。言うのは簡単だ。でも、戦争によって、不平等によって恩恵を受けている国がある。日本もそうだ。その恩恵を受けているのは、一部の政治家だけじゃない。我々国民だ。おらたちの豊かさ、便利さは、なにを代償として成り立っているのか。先進国の人間が「戦争はいらない」というなら、せめてこういいたい。「戦争も不平等もいらない。それによって我々が受けている恩恵も、生活水準も失って構わない」と。平和を望むとはそういうことだ。自分だけ安心安全な場所に身を置いて、「可哀相な誰か」のために祈ることではない。


戦争をなくすためにできることは、リツイートすることでも、心を痛めることでも、イメージを配信することでもない。自分の恩恵のしわ寄せがどこに行っているのか認めること。「無関心」は罪であると自覚すること。選挙に行くこと。反対の声はしっかり上げること。こんなときにも、他国の方々を排除することに終始した、原発絶賛推進中の、日の丸を掲げた右翼どもを心から軽蔑すること。原発をつくっているのはこの国だ。国民が認めてしまったから、それが建設される。おらたちの責任だ。そして、人間は一様に自業自得だとしても、事故があった際、他の動植物に計り知れない被害を与えてしまうことも考えたい。地球は人間のものではない、多種多様なすべての生命のものだ。