高江を含むさまざまな地域によせて

久しぶりに朝っぱらからわんわん泣いた。みんな頑張っているのに私はなにもできない。今までは仕事があるから直接なにもできなかった。でも今は時間がある。それなのになにもできない。年をとっても寒くても雨でも、それでも体をはっている人がたくさんいるっていうのに、私はなにをやっているんだろう。経過を眺めて、悲しくて悔しくて、口先ばっかりの右翼の言葉に傷ついて、それでなにやってるんだろう。


時間は確かにあっても、今は自由な時間ではない。私はまだどこかに所属している人間であるし、それによって人に迷惑をかけている、傷病手当もただいてるということは自覚がさほどなくとも病人なんだろう。身近な人に、家族にひどい心労をかけている。私のために心を痛めている両親がいる、私の日々の気分に注意を払いながら一緒に暮らしている人がいる。生き物を飼っている、ローンがある、たくさんの責任がある。そんな状態で、自分の尻は自分で拭くから好きなようにらやせていただこうといえるわけないんだと、それでいいんだと、今はなによりも自分のことを考えるべきだといってもらえた。自分でもそう思う。でもそれすら逃げなんじゃないかという思いもある。なんの責任も負っていない人なんていないんだ。それでもみんな頑張っている。


でもそれでも、私はニュースをみて乱されるだけの人間であることをやめると決めたんだ。まず自分自身が本当に誇れる暮らしを、営みをする。時事がどうであろうと、社会がどうであろうと、それを理由に逃げも腐りもせずに、自分は自分のできることをすると決めた。今はその準備期間だ。まずは自分が立つことを考えなければ。でも辛い。一日堂々巡り。


異なる意見もわかるのだ。「行政が自分の望む決定ばかりするわけじゃない。受け入れることも必要だ」と。でも、そういう次元の話をしているわけじゃない。なぜそれがどうしても必要だという証明や説明はないのに、なぜ不要か、なぜ不可能かといった証明ばかり執拗に求められるんだろう。そこがどれほど貴重な場所か、なぜわかろうとしないのか。基地や原発がどれほど不要なものか、なぜわかろうとしないのか。


他国の革命に影響されているだけ、戦いたいだけ、歴史も知らずにくだらないこという人が必ずいる。平和に暮らしたいから守っているのに、そんなこと少し頭使えば誰でも理解できるだろうに、わかろうとしない。でもそんな暴言より、なにもできない自分が一番卑怯で情けない。悔しい。座り込んでもだめなんだ、それ以上のことができるようにならなきゃ。もっと強くならなきゃ、それすらもできないくせにその先を考える。支離滅裂。


今を生きる人々は、紙切れのために、未来の生き物の生息地を奪ってはいけないんだよ。それは人に限らず。だって、金も政治も条例も、人が勝手に決めたことで、本当に被害を受けるものたちはそんなこと知らないじゃないか。