読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大地と体

あきらめるなんて死ぬまでないから 穴を掘り木を植えて

昨日は天気がよかったので、ひさしぶりに一日庭にいた。我が家は生垣が未完成のため、庭仕事は人目につく。となると、とんでもなく非効率なことをしている私が目につくことになる。その日はずっと芝をはがしていた。整った庭は必要ないから。半日で一畳あるかないかって範囲に手を入れる。芝の根はなかなか土に帰ってくれないから、引き抜いてほぐしては細切れにしていた。近所の方々から見れば謎な行動だ。日が暮れるころ、見かねたのか「除草剤使うか?」と声がかかる。「使わないよ」と返すと、「ああ犬がいるからね」と。そう思っていただければ話は早い。うなづき、笑って手を振った。


夏には、「肥料を使うか?」と何度も声をかけられた。半年前まで芝が生えそろっていた庭の土。プラスチックのゴミなどもあったし、薬を撒いていたかもしれない。そんな庭の土は弱く、野菜を植えても大きな収穫はない。時には枯れてゆく苗をみて、近所の方々が肥料を使うよう、ど素人に助言をくれる。


芝をはがして、土に帰らないものを取り除くために土を掘り返す。裸になった地表が、芝の状態よりも不自然にみえてくる。耕したところは、なかなか草が生えてこない。大繁殖するセンダングサでさえ、なかなか生えない。それでも時間をかけて、少しずつ傷をいやすように茂ってくる。たくましい草から。それを雑草と呼んで引っこ抜く気はない。はだけてしまった土を癒しているのに。


自分の手で少しずつ経験していく、理解していく。経験者、専門家などにとっては、耕して、除草剤や肥料や農薬を使うのが常識だったとしても、私は今何もかもが新しく、効率を求めてはいない。だから、自分なりに少しずつ知っていくことをするだけで、一番効率の良い方法を試す必要はないのだ。ただそれだけのことが、親切で助言をくれる人々にうまく伝えられない。


そのとき、ふと今回の心療内科の件とつながった。最短で治すために、極力リスクを負わないために、薬を勧められる。それが一番よい方法だから。でも、私は最善の方法を、効率の良い方法を求めていない。躁うつと診断されるのが、私の人生において最初で最後の機会だとしたら、私は今試してみたいことが、感じておきたいことがたくさんある。これはもう初めて失恋した時に「知らなかった感情を知るのは楽しくもあるから困った」とか、「ネタがあれば解析したくなるのはもはや病」とか言ってしまっているように性分なんであって、たくさんの経験を積むということは、多くの感情や状況をストックするということは、いかに多く自身を実験台にできるかということなんじゃなかろうか。


耕して土に肥料を入れなくても、耕しさえしなければ大地は自然の力でその傷を癒す。人も同じではないだろうか。簡単なことだ。それよりも、この気持ちを人に伝えることが、分り合うことがとても難しい。好奇心だけのど素人なだけに。


関連記事
まぶやーぐみ =http://d.hatena.ne.jp/manabitch/20080311/p2