人付き合い

新居に引越後、恋人とはいろいろとあった。そも私が勝手にフライングし、一人ローンを組み住宅を購入してしまったのだ。言いたいことは、山ほどあろう中、全面的に協力し、多忙な予定も一緒に乗り切ってくれた。しかし、頭では理解できても感情はなかなかついてこないもの。男女でいえば、結婚前に一人で住宅を購入したようなものだ。籍を入れた後ならば、友人たちの祝辞は二人に向けられて然るものだったのに、と口惜しい思いをするのも無理ない。そんな心情を抱えているだろうと傍で見てはいたものの、勝手に進めさせてもらった手前、何もできずにいた。思ったとおり、消化できない思いは燻り、心無いことを言われたりもしたが、それをきっかけに話し合いを持ち、収集がついた。


はずなんだが。その後もそれなりに揉め事が絶えず。こういったことは、共通の知人どころか、私の友人にも話せない。当事者が、周りの目を非常に気にするからである。私がまったくといっていいほど傍目が気にならないとはいえ、理解できないものを無視するわけにもいかない。それに、やっぱり自分の相手は悪く思われたくないものだ。自分でまいた種を悔やむことも、いい加減したくない。だから相談相手が欲しいなと思った。私とまったく関係のない、私も知らない相談相手が。


当然そんな人もいないので、いつものように自問自答。私がどうしても流すことのできない使用頻度の高い言葉は三つ。そして、この三つは根本的には一つの事柄でもある。私はそれについて、話し合う体力がいまのところない。いや、今後もない。きっと一人で消化していかなくてはならないことだ。ひとつめは、気に障るではあるが私も昔は悪気なく両親などにやっていたと思うので、因果応報と思うことにした。当時の私にまったく悪気がなかったように、きっと悪意はないはず。二つめは、本人も気にしているようなので、それに免じてということで。三つめは、これも悪気があるどころか、良かれと思って言っているのでもういいや。こうやって、順番に紐解いて整理しないと、気持ちを安定させることもできない。なあなあにできない性分は自分でも面倒臭い。とにかく、これで大したことない話になった。でも、また同じ言葉がでれば、気分がだだ下がりだろう。これを繰り返すわけだ。どうしたものか。


周りはみな嫁ぎ、子育てをしている中、私はなぜ恋愛のひとつも真っ当にできないんだろうといつも情けなくなる。それでも、今は私なりに順調ではあると思う。それは、今のところ相手が軽蔑に値しない人だからで、私にとってそういう人は珍しいからだ。そして、明日をも知れない状態は、相手云々に関係なく、私の属性によるものだ。安泰なんて言葉は縁遠いまま、一喜一憂しながら生きてくんだろう。


こんなことを書くことも罪悪感がある。人目に触れるから。でも、ここで吐けなくなったらどこにもだせなくなるからいいんだ! 昨夜は、おいしい餃子をつくってもらった。基本的には幸せ者なんだと思う。