大地のかけら

あーだこーだ言っても仕方ないが、胸が苦しい。ので、いったい何が悲しかったのか箇条書きにして、そこからまとめてみようと思う。

  • 観光業でこれ以上ないちゃーを島に呼ばないでと言われたこと
  • 帰る場所があるのになぜここにいるのかと言われたこと
  • 基地よりリゾートの汚染のほうがひどいと言われたこと
  • 辺野古で座り込んでいる人はみな金の亡者と言われたこと
  • 企業に土地を売り払う島人は純朴なだけと言われたこと
  • 一人一人が何をしても無駄と言われたこと
  • 沖縄戦のことなんて大人になってから知ったくせにと言われたこと
  • そんなに反対したいなら内地の基地をなくせばいいと言われたこと
  • 何も分かっていないと鼻で笑われたこと
  • 誕生日を祝い、バースデイソングを唄い、シャンパンを開けたその日に言われたこと
  • 沖縄にきてできた最初の友人に言われたこと
  • 友人たちは誰もそれを言われないのに、ないちゃーであるという理由で私だけが言われること


疑問に思うこと

  • 本人がないちゃーの客に「おかえりなさい」「またきてね」と言いながら商売をしていること
  • 悪印象のPRをすればいいと言うが、ないちゃーにだけ不味い飯を出すことができないのと同じように、仕事とは個人的な感情とは切り離してするものということ
  • ないちゃーを島に呼ぶなという本人が、年に一度以上内地に旅行に行くこと
  • リゾート建設反対を唱えながら、頻繁にリゾート施設に宿泊していること
  • 開発、汚染を嘆いているのに、基地は容認していること
  • 世界的に貴重な泡瀬干潟なども、開発者がないちゃーではないから反対していないこと
  • その工事に終止符を打った政党を非難すること
  • 家電や洗剤を使用せず暮らしていようとも、ないちゃーの方が害だということ
  • 島の人が金のために何をやっても、純朴、何も知らない、騙されているだけ、仕方ない
  • 外資の開発は問題ないこと

ないちゃーである私が、この場所で呼吸をしていることが罪なんだろうか


私の思うところ

星も土地も人間のものではない。その土地に生まれた人間様限定のものじゃない。誰のものでもない。人は他の生き物と共存しながら、自然の恵みを少しいただき、それに感謝する、そういう考え方をすべきだし、私はそれに近い暮らしをしていると思う。

本土と経済的な関わりを持たず、基地とのみ共存していくということは、人殺しの支援で生計を立てていくことになるわけで、貧しいだの失業率だの言われていても、所詮食うにも雨露をしのぐにも困らない人々が、無抵抗のまま殺戮される女子ともすら思いやれないのは何か違うと思う。

とはいっても、私も日本人の血を引いているわけで、帝国軍人がこの島でしたことを肯定する気もなければ、無関係だと言う気もない。非難されても仕方ないし、直接私が手をくだしたかどうか関係なしに、罪は償うべきだと思っている。


登紀子さんはピースフェスのあと、辺野古、高江、泡瀬を周った。その辺野古で聞いたことは、「ベトナム戦争の時、まだ小さかった息子と毎日、爆弾を積んで飛び立っていく飛行機を見てました。日帰りで、爆弾を落として夜には帰ってくるんです。その度にどれほどの人を殺して来たのかと胸がつまりました。」だそう。ここで生まれ育ったところで、それすら知ろうともしない人がたくさんいるのだ。なのに、見て話して知って考えて動いている人たちを生まれた場所のことだけで非難するべきだろうか。生まれてくる土地は誰も選べないのに。UMOJA(ウモジャ)を観て、アフリカの歴史について思い、鴨川で、藤本氏も初めから地元農民に受入れられたわけじゃないことを知った。


私はずっと故郷を探していろいろな土地を歩いている。いつか出会えると思っている。生まれた時からそれを持っていた人は、持たざる者の気持ちは決して分からないだろう。世にはいろいろな人がいる。親が転勤族だった者もいれば、両親や実家を早くに失くした者もいる、暴力を振るわれて育つ者もいるし、混血、残留孤児、二世三世、拉致。数えあげればきりがない。そんな境遇でも故郷を持ち続ける者もいるし、何不自由なく育ったのに持たない者もいる。人にはそれぞれ事情がある。


今回少しでもルーツを知ろうと、いろいろ聞いてきた。私の籍は東京にある。育った場所は千葉で休暇は群馬の別荘で過ごしていた。千葉には、十代の半ばから十八歳まで、四年ほどを過ごした実家がある。いつまであるかは分からないが。姓は瀬戸内のもの。父の出身は東京。祖父は福島、祖母は静岡。母の出身は神奈川。祖父は台北、祖母は静岡。関東に住んでるもんなんて、だいたいこんな感じだろう。そこから自分が何ものであるかなんて見つけられるはずもない。だめだやっぱりまとまらないや。ともかく、私の弱さゆえ、たくさんの人に迷惑をかけた。支えてくれた人たちにありがとうと言いたい。


今回会ったもの

どこでもいい私。どこにもいない私。どこにいても私。

旅人はそこを立ち去るから旅人なの。たどりついた旅人は、旅人じゃない。

どこにいてもここじゃない。どこにいてもここかもしれない。

たった一人で生きていてもひとりきりじゃない。人はみな、それぞれに大地のひとかけら。

加藤登紀子

七〇年代後半、有機農業運動にまい進していた藤本さんは、八〇年代に入ると、自身が農的生活を実践するために、鴨川のこの地に移住。石田さんら、地元の住民たちと酒を酌み交わしては、よくこんなことを言っていたという。
「都会のマイナス部分は、田舎のマイナス部分で解消できる」
「これからの農村は、都会との親戚づきあいが大切だ」
「そのころは、百姓バリバリでやってたからさ。"なに〜、親戚づきあい?かえって迷惑なんだよ"なーんて、侃々諤々とやったよ」
だが、藤本さんのもとにやって来る都会の人たちとの交流が始まると、その考えは変わってきた。しだいに自分たちの地域にあるもの、足りないものが見えてきた。

2005年現代農業増刊号