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感情的

あきらめるなんて死ぬまでないから

焦点が一点に集中している人は感情的だ。例えれば、集団の中の一人に感情移入している場合や、原子力をある一つの単位でしか比較しないなど。同時に様々な角度から見て、考えて、一定の基準を設けなければ、何事も公平に見れないし語れないのに。金持ちが悪い、いや経営者が悪い、いや政治屋が悪い、いや国が悪い、いやその辺の関係者は知人にいるから、じゃあ元々性根の悪い人が悪い、自分?自分は無関係でしょ。常にこういう理屈がまかり通るのは、感情的だからだ。

それじゃ、善悪が二極化されている世界にしか住めないじゃないか。世の中は大概、相手の立場になれば分からないでもないことでできてるのに。だから、感情じゃなくもう少し広い視野で考えないと難しい。だって自分自身も生き物で、この星を循環させる一因である以上、無関係なことなんかどこにもない。例えば自分の大切な土地が没収されて基地が建ったら、そこにある基地を憎むだろう。その矛先はどこに行く? 建設者? 決定者? それによって利益を得たやつ? 兵隊? 国? その基地内に自分の恋人や親友ができれば、その場所を容認したくなるだろう。そういう感情に振り回された思考じゃ話しになんないんだよ。憎むにしても認めるにしても、自分のこうむった被害や利益じゃなくて、身近な人を保護する気持ちでもなくて、まず、基地ってなんなのさと、その元の国はなんなのさと、その元の国は世界に、地球にとってどうなのかと、ひいては人間て星にとってなんなのかと、どうなのかと。そういう基準で話してるんだ私は。なのに感情的な人は言う。あなたは理屈っぽくて視野が狭いと。

感情的な人は、ひとつ新たな知識を得ると、今度はそれ単体について論じるようになる。その新たに得た知識が全体とどのように絡んでいるかなど知ろうとは思わない。思考の基準がないため、一言発するたびに論点が変化するし、重箱の隅をつつくように単語を拾ってはそこに食らいつく。いつの間にか、論点はその単語だ。今そんな話しお互い死ぬほどどうでもいいに決まっているのに。

私の基準や線引きが他者と同様なんてことはないわけで、だからそこを知りたくて、その回答に期待を込めても、そこから始まるのはくだらない揚げ足取り。これほどがっかりすることはない。私は何の悪意も敵意もないし、傷つけることも責めることも言っていない。ただ、違いを知りたくて、尋ねて、外れまくった話を軌道修正する努力をして、真意を引き出そうと試みて、些細な単語に噛み付かれて。そうして誰の目にも噛み付いたのは私だと映る。あんたはそれほどご立派なの? と。どうしてそうなるんだろう。そう思っていないからこそ、こういう話をしているのだ。だから、稀にいる聞く力のある人は、そんなふうに受け取らないし、噛み付いてもこない。何が言いたいか良く分からないけれと、いつも思うことは、ひどく疲れるし虚しいということ。ただ会話して、新たな思考を知って、それについて考えて、語り合って、理解しあって、そんなのって高望みだろうか。