不相応

米国が富んでいるように見えるのは、地域ごとの貧富の差に加え南北格差があるからだ。極端な裕福層は、必ず奴隷によってつくられる。日本は極端な裕福層に含まれると私は思っているが、日本人の奴隷はアジアの人々、他外国人たち。目に見えない場所じゃない。下手したら同じ県内にある工場で、下手したら自分の身内が、奴隷達を囲っている。例えば家中に数え切れぬほどある家電。何もかも了解し相互理解している出稼ぎ労働者ばかりではない。騙される、パスポートの取り上げ、未払い、考えられないような低賃金。


沖縄では「季節」という単語が普通に飛び交う。「季節労働」のことだ。数ヶ月間内地のメーカーの工場に出稼ぎに行く。外国人労働者に混ざって。賃金はもちろん低い。それでも、島で働くより多少は稼げるのだ。厳しいシフトにノイローゼになって帰ってくる人を何人も見た。そうして、たいした賃金を払わず奴隷に働かせているからこそ、私たちは低価格で購入を繰り返し、たくさん捨てる。なぜこの仕組みがなくならないのか。そんな汚い手を使って作ったものなど要らない。と言う人がいないから。むしろどんどん安いものを求める。より安いものというのは、より汚い手を使ってつくられたものなのに。理由は、我が家の収入ではこれが限界と。考えてみよう。フェアなやり方で作ったものなら、何倍もの何十倍もの値になるだろう。だが、それが正規の価格だ。もしその正規価格に手が出ないとしたら、それを購入するに値しない、自分にはまだ不相応。ただそれだけのことだ。


私たちは特別に裕福だが、それはこの国に生まれた偶然でも幸運でもなんでもない。私たちが目に見える距離で誰かを騙し、こき使い、ボロ雑巾のように使い捨て、飢えさせ、殺しながら手に入れた贅沢な暮らしだ。生活を変えることができないならせめて、他人を蹴落として甘い汁を吸っている自覚くらいは持ちたい。