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価値観

思いを上手く言葉にできないとか、考えが上手く整理できないとか、思ったことがない。だから上手く言葉にできなくてわじわじする人の気持ちが本当のところ分からないではある。殻に篭ったり、逆上したり、自棄になったり、自分を抑えきれなくなったり、取り乱したりすることもない。人と対面している限り冷静でいられるし、気持ちを酌めるし、伝えられるし、今どうするべきか順序だてて考えられる。優しくもできる。怒りという感情が滅多に沸くことのない分、悲しいことは多い。でも、自分のその時々の感情と、行動は別だ。心がどうであれ、今すべきことをできる。ただ、思ってもないことは言えないしできない。


これだけのことができるなら、コミュニケーション能力は普通よりずっと高いと思うのに。私すごく大切なものを持っていない。何が欠けているのか分からない。口下手とか、はにかみとか、人見知りとか、そういう言葉を持つ人を羨ましいとさえ思う。人に興味がもてないとか、自分のことしか考えられないとかではないと思う。ただ、何度も何度も同じことを繰り返しては、欠陥品なんだと思ってきた。私は欠陥品だ。年々そう思う。


そんな折、タイミングよく友達がくれた言葉。「善と悪の基準を自分のなかにしっかり定めることは必要だけど、ではその基準の違う他者に出会った時、どこまでその気持ちを酌み取ることが出来るかが大切だと思う。」


これは軍人についての話ででた言葉だったけれど、他にもいろいろと思い当たった。これだ。私にこれが欠けてる。善悪だけじゃなく、価値観のすべてがこうだ。言われなくても分かってるよとか、やってるよとか、全然思えない。そうしたいと思えない。自分と違う価値観を受け入れたいとも、知りたいとさえ思えない。感情は酌めるのに価値観は酌めない。そう思って周りを見れば、なるほど、自身や人の感情を酌むのが下手な人でも、他人の価値観を徹底排除して生きている人はあまりいない。自分ばかりつまずく原因はどう考えてもこれだ。私の思考は感情でなく、モラル寄りにできている。それと関係あるんだろうか。それとも全く無関係に、ただこれが欠落してるんだろうか。


これが分かったところでどうしていいかなんて分からない。私の価値観は、私の世界で完成されているものだ。他を受け入れたり、割り切ったり、そういうことが自分の持つどの機能をどう使って行えばいいのか、そんなことも分からない。大きな壁にあたってしまう。どんなに考えてもサッパリ分からない。ただ苦しい。自分に欠けているもののせいで人を傷つけて生きているのが苦しい。自分が欠陥品なのがくるしい。


いくつも思い当たる。旅に出るとき、部屋をピカピカに磨かなくては出発できない。そのために飛行機に乗り遅れたこともある。その部屋さえあれば、私はいくらでも地べたで眠ったり、ハエのたかった飯を食ったり、南京虫にまみれたりすることができる。同じように心の中に誰も入れない自分だけの部屋があるから、私は誰に対しても真っ直ぐ接することができる。そして人を傷つける。エゴと自己顕示を受け入れられない。みせつけられる度に気が重くなる。でもこんな自分が人と一緒にいようと思うことだってエゴじゃないか。私は誰に否定されても構わない。自分で肯定できるから。でもだからって簡単に人を否定しちゃいけない。こんな思い誰にもさせちゃいけないのに。