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線引き

自分らしい孤独

いつも同じことを言っているんだと思う。自分の都合よく、好き勝手に線引きする行為が嫌だ。だって外側から勝手なこと言うのは卑怯者じゃないか。全部そうだ。何故自分が含まれないのか。人間を語るとき、日本人の罪を振り返るとき、女の子を値踏みするとき、本人だけが除外される。そういうのを見せられたくない。そんなことはしないって勝手に信じて、がっかりしたくない。


私はそれをやらないよう昔から努めてきた。そのせいで、しなくていい回り道もしてきた。それでも、面倒臭くても、やっぱり、男よりもとかじゃなく、人間として紳士でありたい。これは私のやりかただけれど、信頼する人には、自分なりのそこに属しているという認識と覚悟を見せてもらいたい。自分を蚊帳の外において、悪気無く勝手なことを言う、思うような卑怯者であってほしくない。だから必要だ。自分自身を知ること、認めること、誇ること。そのために必要なのに。誰が何「らしい」かなんてことは、どうでもいいんだ。誰も何らしくもなくていい。ただ自分が属する世界や自分にどれだけ真摯に向かい合っているのか。自己顕示欲より礼儀を重んじることができるのか。何につけてもそれだけが大切。


だって人を思いやることを超えた自己顕示欲のせいでいつも気持ちが死んできたんだよ。自分が傍からどう見えるかなんて全然大切なことじゃない。傍なんてなんの関係もない人たちだ。自分と、自分の大切に思う人たちが、何も言わずとも分かってくれている。それで十分じゃないか。そんな大切な人より、よく分からない傍の目を気にするなんて、意味が分からない。そう、単に誠実さの話だ。考えて考え抜いて、不明瞭な人とは違い、考えずに自分を持たない人は、簡単に流される。流されてる時の人間は、大抵誰かしらに失礼なことをしているし、言っている。だから、流されないために、胸を張るために、人に優しくするために、必要なことじゃないか。だって自分と向き合えない人が、他人と向き合えるわけないじゃないか。格好良さを履き違えてる人には、いずれ幻滅せざる終えないのに。同じ目線でものが見えなけりゃ。