読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アイデンティティ

意識なのか無意識なのか分からないまま過剰に適応してしまうということは、自分を見失いがちになるということだ。それ故なのかも分からないが、私は思春期の頃から、アイデンティティを自分のセクシャリティに頼ってきたように思う。きっと最初はマイノリティであること程度だったんだろう。それが、自分と対話し、知識を深め、誇りを持っていく過程で、無くてはならない唯一絶対のジェンダー、及びセクシャリティに変っていった。私が私であるために必要なそれが、恋人が自らのジェンダーを否定することによって傷ついてしまう。自己が揺らぐというのはけっこう大変な事態だ。まるで天気の話でもするかのように気軽に、私の中に嵐を起こす。それがどれほどの絶望か知っているんだろうか。この手の話は互いのセクシャリティの話だと思われがちだが、問題はいつもジェンダーだ。


たくさんつまずいてきた。浮ついていようが、誠実であろうが、自分の中に、ある日自然に湧き上がる感情に任せて生きていくような季節はもう終わらせたい。今までも毎回不安は過ぎった。それでも、信用せずに人を傷つけるくらいなら、心から信じて裏切られるほうがなんぼか楽じゃないかと、すぐそう思ってしまう。意識しなければ、この悪循環は終わらんのに。もっと簡単に、意識するとかじゃなく、期待を抱くことを捨てて生きていきたい。寂しいようでも、それが一番、ほんとうの絶望からは遠い。セクシャルだけじゃなく、その他の私をつくる全てのものにも、例えば私の毒なんかにも言えることだ。もっと何も考えず、求めず、かまえず、そんな人になりたかった。私はそんな生き方できない。流されるな。腹をくくろう。私はこんなのでいいよ。本音はキーボード相手に。そんなんがお似合い。


<関連記事>
距離 =http://d.hatena.ne.jp/manabitch/20080709/