バカ犬

消えてゆきがちな記憶の中で、この話が比較的いつまでも鮮明なのは、子ども心に強く思う何かがあったからかもしれないし、この出来事を気に入っているからなのかもしれない。

話はそれるが、小さい頃から独学でやってしまったままの癖で、正確なブラインドタッチというものがずっと出来ずにいる、薬指と小指が使えない。だから、キーボードを打つ時は、手が普通より左右に振れるんだが、こんなものをつらつら書いているときは、あくびのアゴが腕に乗っているから、腕と共に左右にぶんぶん動く頭が視界の隅に入って、笑える・・ (バカ犬繋がり)


団地に住んでいた頃、小汚い野良犬がふらっとやってきて、そのまま住み着いたことがあった。野良とは思えないほど警戒心がなく、誰にでも尻尾を振り、なんでも喜んで食べた。自然にバカ犬と愛称がつき、可愛がられていたようにみえた。その犬がいつもいるのが当たり前のようになった頃、誰かの家が保健所を呼んだと両親の会話から知った。放課後になると飛んで帰り、弟と二人で、先に犬を逃がす計画を立てる。首輪もリードも持っていなかったから、餌を鼻先にふらふらさせて歩かせることにした。けっこう大きな信号とかもそうやって渡ったんだから、車からはどう見えていたのか・・ 家からだいぶ離れた、山の中にあるような公園に着き、落ちていたロープでぐるぐるに木に縛りつけ、明日になったら迎えに来るから一晩だけ我慢してねと言って、なんどもごめんねと言って、日が暮れる前に弟と家に戻った。

家の入り口側が小さな公園になっていて、そこにバカ犬はいつもいたけれど、私達が戻ると、バカ犬はやっぱりそこにいて、ハァハァ言いながら尻尾をぶんぶん振って寄ってきた。あの時の脱力感と言ったら。「ああ そうだった」と思った。「この子、バカだったんだ・・」と。子どもがくくった程度じゃ抜けるのは簡単だったんだろう。もうダメだと思った。子どもがしがみついて叫んでところで、どうにもならないものはならない。いつも登っていたモミジの木の枝が切り落とされた時もそうだった。本気で怒って、木に登ったまま降りなかったけれど、小さな体でどんなに抵抗しても、強引に引き剥がされる。そうして、目の前で枝は切り落とされ、犬は殺されるのだ。日が落ちる前には保健所から人が来るだろう。今すぐきてもおかしくはない。隠す場所もないし、何よりこの瞬間も誰かが私達を見ているだろう。団地とはそういうところだ。もう諦めてしまっていた。せめて死ぬ前に何をしてやれるだろうかとか、そんなことしか考えられなかった。保健所なんか呼んだ奴に何か言ってやろうって気もなかった。大人はみんなそうだ。いつもそうだ。一つ年をとるたびに、心が腐るに違いない。話なんか通じるはずもないし、味方もいない。

そうしているうちに、仕事から帰ってきた母の車が目の前に停まった。咄嗟に叱られると思った。しかし母は、「バカ犬の貰い手見つけてきたよ〜」と言って、ニカッと笑った。泣きそうだった。もうダメだと思ってたのに、大人であるはずの、しかも自分の親が何とかしてくれるとは思ってもなかった。話を聞いたときは、大変とか、可哀想とか、なんとかしなくちゃとか、そういう感じはなかった。TVの中の事みたく話してたのに。こういうことに関しては冷たい人だと思っていた。私は子どもだし、いくらでも無茶できる。でも結果に繋がった事はなかった。大人は騒がない代わりに、こういうやりかたをするのかって思って、少し格好良いなと思えた。この人の子どもで良かったと思った。この団地には何人ものお母さんが住んでいるけれど、保健所に連絡した人じゃなく、貰い手を見つけてきた子の人の子で良かったって。