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許容

あきらめるなんて死ぬまでないから

何年もいろいろな角度から思ってきたことを簡単にまとめると、生れ落ちた時から、抱えきれないほどたくさんのモノを持っていて、わけが分からなかったということになるんだろう。何も無い状態からひとつずつ拾っていく気持ちを知らなかった。十しかモノを持てない人が、最初から二十も持っていたら、新しい感動はなかなか入ってこないし、その二十さえ把握できない。把握できないから、なかったことになり、わけがわからなくなった。というのが、先進国でごく一般的な家庭に五体満足で生まれた私なんだろう。そんな狂った状態で、ないモノを数えるような生き方をずっと捨てたかった。かばんの中をよく眺め、必要でないモノは手放し削ぎ落とし、多くを望まず、手の中に残った十のモノを、なんどもなんども繰り返し眺めて、最後のひとつになるまで大切に育てていけるような、そういう暮らしを、生き方をしたかった。大した収入もなく、肩書きも評価もなく、自由に使える時間も少なく、恋人も同居する家族もいない、趣味も夢もない、家電も車もない、将来への保障もない、傍から見れば底辺にみえるような私の暮らしが、削ぎ落とせば落とすほど充実していくのは、そういう理由なんだろう。

使い捨ての世界だ。モノも人も関係も使い捨てる思想が知らずに広がっている。私もそういう時代に育ち、むしばまれている。もうそういうものに侵されたくはない。いや、今まで侵された分だって時間をかけて取り返したい。これ以上欲するモノなんてない。だって私は、自分の手の内にあるモノを、未だにちゃんと大切にしきれずにいる。そんなこと言いながら、頑張り過ぎなくてすむ大義名分がいつも必要なだけの人間なのかもしれない。こればっかりは、どこまでが無意識なのか、自分では分からない。