鍼初体験。けっこう緊張した。言われたことを忘れないよう。腹に気がたまりすぎで、中身がガチガチになっている故胃腸が動かない。ためこまないこと、人のことより自分を労わること。エネルギーの代謝はよく、血液の代謝が悪い。不休の肝臓が怒っている。このまま酷使すれば腎にいく。肝腎(肝心)という言葉があるようにーと言っていた。なるほど。足の甲にある肝のツボは自分で押すように。酒は一時的に血管を広げるが煙草は縮むので体質に合っていない。深呼吸をすること。自覚がないようだが肩こりは酷い。腎、胃腸は普通。こんなとこか。

私は正論を吐きあうことに興味はない。例えば、勘違いや誤解は普通にあるものだし、私って人間に興味ない奴も、嫌いな奴もたくさんいるし、第一印象で良く思われないことが多いのも知っている。そしてそれは個人の自由だと思う。そして事柄に対して、理由は正義感であれなんであれ、事情を知らずに悪気なく介入してくることも、なんとも思わない。人は自由に振る舞えばいい。陰口も好きなだけ言えばいい。誰でもやることだろう。ただ、私って人間をろくすっぽ知りもしないくせに、というか初対面で分かった風なことを言われれば、心外に思う権利くらいはある。私を非難したければすればいい。諭したいならすればいい。でも、私を知ってからにしてくれ。それは大人としての礼儀だろう。私を絶対悪にしてくれて構わない。私を知っているなら。影で悪く言われようが思われようが、言う人は私って人間を知った上で気に入らないってわけだから問題ないんだよ。私を知らない人がそれを鵜呑みにするのは問題だろう。だってそうだろう。誰かが苦しんでいる時、その要因となる人間は苦しみを抱えていないとでもいうつもりか。世界がそんなに薄っぺらじゃないということは誰よりも知っているくせに。自分だけ逃げ道を確保した状態で球を投げるのは卑怯だ。土俵の存在すら知らなかった人間をいきなり引きずり上げて、当人が逃げるのはいただけない。向かい合っての話ならまだしも、腹に鍼刺さってる状態では思考もまとまらない。情けないことに直視すらできないのに。ただ、私は心の治療にいったわけではないし、身体は驚くほど回復し、それだけでとても感謝できる。機会があれば再び診ていただきたいと思う。そして例えここに書いたようなことが、どんなルートから耳に入ったとしてもまったく問題はない。私はいつだって、本人の前で言えないことを隠れて口に出したりはしない。