無題

さすが前厄とでもいえばいいのか。平和じゃないものが絶え間なく襲ってきて気がふれそう。病んだ感情を、こんなに一度に整理しなくては、吐き出さなくては、均衡がとれない。あんまり同時多発で、私なんかがいなけりゃって思いが溢れた。なんで。ほんの一瞬だけれど。初めてかもしれない。そういう考えても仕方ない、不毛な、悲劇に酔うような思考は大嫌いだ。本当にいろんな事を投げ出してしまいたかったんだと思う。それくらい疲れていた。今も疲れている。でもしんどいほど、きついほど、人の優しさが染みてもうどうしようもない。私の善意を全て引きずり出してもまだ足りないと喚く者もいれば、何も求めず語らず、ただ傍にいてくれる人もたくさんいた。傍にいることさえ負担になると席を外してくれる人もいた。実際何を言っているかと思う。泣き出すほどのことではないし、どちらかというとウザめの、悲劇気取りの、自惚れた、大袈裟な、なんなの暇なの?みたいな、そんな取り乱しだったろうに。ウザがりもせず、酔っ払い扱いもせず、良いでも悪いでもなく、「ああマナベだね」って言ってくれる。そう言って欲しかった。ずっと誰かに。アンタになんも求めちゃいないんだから、ただ居ればいいよってそう言って欲しかった。書いてて泣けてくる。ここが東京で私におかえりって言ってくれる唯一の場所だ。「体はひとつしかないんだから仕方ないよ」って、そんなこと言わせることがもう、人気者ぶってるようで嫌だ。たきちゃんが珍しくメールをくれた。ほとんど寝ないで仕事なのに。ともちゃんも朝までいた。私は眠っていた。きついことがあればあるほど、優しい人が必ずいるから、それが嬉しくてあんまり落ちたり疲れたりもしきれん。幼いんだ。私は確かに幼い。でも誰にも彼にもいい格好したいとか、全ての人が幸せにとか全ての人に愛をとか、ノーと言えない日本人とか、そんなことはない。ただ礼を、仁義を持って人と接したい。そのために無茶して悩んで空回りして苦しんで凹んで泣いて、子供かよ。大切なものがひとつしかなければ難しくない。その人が腹減ったといえば飯を食い、寒いといえば移動し、遊びたい場所に連れて行き、ゆっくり話を聞き、たくさん笑って、眠いといえば寝かせる。何人かに同時にそれを言われた時、それをまとめる許容がない。なんでみんなそんなに自由にできるんだろう。自分なんか一番後回しにしたってしたって、ぜんぜん追いつかない。こうして落ち着いて思い返しても、答えはみえない。それは私が幼いからなんだろう。