口に出す前に

私の怒りも悲しみも誰も分からない。なぜ弁護する。なぜ諭す。私自身が誰よりも考え受け止め理解し泣いて苦しんで苦しんで答えを出しているのを、いつだってそうしているのを知らないとでもいうつもりなのか。私は自分の怒りも悲しみも欲求も優先しない。だから自分が壊れる寸前まで、いつだって誰にだって耐えるじゃないか。付き合うじゃないか。これ以上耐えろと考えなしに言うな。それぞれの苦しみも、そこから派生する不具合も、誰よりも見てるよ。それ以上私に何か言うことはあるのか。言う必要はあるのか。限界まで人の気持ちだけを見てきた私に、人の気持ちを分かれと言うのか。誰がそんなことできるんだ。あんたはできるのか。模範解答なんて存在しない。相手をちゃんと見なければ。例えば、家から出られなくなった人がいる。それについて誰よりも自分自身で考え、悩み、苦しんでいる人に、家から出ないことの不都合を説いたらどうだ。それは、早く出てこいよって言われたくて仕方ない人に投げた場合と、まるで違う凶器になる。私はこんなに悲しい、傷ついた、って解決もしないこと、人前でわざわざ主張する趣味はないんだよ。どうしようもないとこまで悩んで、自分で決めて、策をとって、責任をとる。そうしたらもう泣いたりできないだろう。それを淡々としていると、冷たいと人が見るなら、私はそれでいい。私の腹が分からないのは悪いことじゃない。普通だ。

十万のキツネを読み返した。途中でに手を離すくらいなら、最初から近づかないでくれってそう言うだろみんな。恋愛の時とかも言うだろ。そんなのこっちこそ思うよ。なんで手を離したのが自分だって気づけないんだ。最後の最後まで歩み寄るのはいつだってこっちだ。人を加害者にしたてあげれば満足なのか?

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十万のキツネ =http://d.hatena.ne.jp/manabitch/20060815/