優先順位

優先順位という言葉がよく出てくるのは、私が基本的に義務で考え、動くからだと思う。欲求で動くことがあまりない。数ある選択肢のなかから、今すべきことを選ぶ時、自分自身のためにって基準じゃあない。そんだけ。それなら、ああしなければ、こうしなければと、何もかも嫌々なのかといえば、そんなことはない。自分の中の規則や義務や仁義に則ることこそが楽しいから。むしろ、そうすることが私の欲求なのかもしれない。なんというか、義務が派生した過程に感謝しているんだと思う。


全ての事柄に、自分なりの規則がある。例えば、身体がどれだけ休息を欲していても、深夜まで帰宅できないのは、睡眠より優先すべき用件が入るからだし、どう動くのか賢いかわかっている時でも、気に入らなければ何もしない。こういうものは性質で、人それぞれ持っていて、口に出して説明するようなことじゃないんだろう。ただ、誤解されやすい。連日午前様の人間を客観的に見れば、誘惑に負けやすい・欲求を満たしたい・だらしなさ・断ることが苦手などを連想するわけだが、私にそういうものはあまりない。一見だらしのない生活を叱られた時、なんと言えばいいか分からなくなる。子どもの頃からずっとそうだった。立派ではなくても、私には私の考えがあり、優先順位があり、胸を張れないことは何もしていない。それを分かってほしい。大切な人には分かってほしいと思い続けて思い続けて、何度も諦めてきた。諦めたようでも、機会があれば話し合い、そうして三十年もかけて両親は少しずつ分かってきてくれているような気もする。不思議なのは、例えば父さんもまたそういう人で、だからいつでも思うところがなんとなく分かるし、自分の分身のように思うこともあるし、影響ももちろん受けているんだが、私の方は父がそういう人だと言葉にしなくても子どもの頃から知っている。それでも、私を知ってもらうのにはずいぶん時間がかるんだよね。


私は知ってほしいんだ。昔からずっとずっと。誰にも彼にもとはいわないが、大切な人には知ってほしい。私の欲求を一方的に捏造して、腹を立てたりたしなめたりするのを止めてほしい。ああそうか。理由は誰にでもあるんだ。その理由を問われずに一方的に話されれば、誰だって不愉快だよな。たったひと言。良いでも悪いでもない。呆れてくれてかまわない。あなたはそういう人だよねって。たったそれだけを誰かが知っていてくれる。それだけでこんなに救われるなんて。逆に、こういう言葉をもらった後に、何も分かっちゃいなかったんだと思い知らされるほど傷つくことはない。 もう少し、自分を労わるべきだとよく言われる。でも、私が正義感が強いわけでも、気ーつかいーなわけでも、頑張りや屋なわけでも、自虐的なわけでも、優しいわけでもないってことまで知っている人は少ない。私は、自分の中の規則に則って、比較的怠惰に我がままに、生きているだけだ。