写真

一年ぶりの帰省。まっすぐ新宿へ行って飲んだ。私の家はもう内地にないけれど、帰る場所が今もあることが嬉しい。懐かしい顔と朝まで話して、始発で実家へ戻った。写真を探してクロゼットを漁ったら、古い写真がたくさんでてきた。友達のポートレイトがたくさん。どれも褪せてなくていい色に焼かれていて、昔はこんなに撮ることが好きだったんだなあと思えた。日吉の、あの狭い部屋で、スクリーン下ろして、ライティングして、汗だくになりながらいつも撮ってた。私の部屋にやってきたたくさんの人、いろんな奴らの組み合わせ。三脚を立てて、ハッセルをカシャンカシャンと回す。飲みながら、語りながら。時には暗室で、暗闇に浮かぶペーパーを揺らしながら。部屋中に貼られた友達の顔。写真の吊るされた風鈴。あの頃から会ってないのか。一枚だけ見つかった写真を鞄に入れて、そのまま葬儀場に持っていった。父さんが一日車を運転してくれた。


顔を見たのは告別式の最後で、だからそれまでよく分からなかった。突然私の目の前から消えたわけじゃない。もう十年近くも会ってなくて、だからいないことも当たり前で、でもどっかにいるんだろう普通にって、そんな感じしかしなかった。久々に会いに来て、出てくるの待ってるみたいな気持ちで、周りのすすり泣く声もなんだかよく分からなかった。自分は微塵もそんな気にならなかった。強がってるとか認めたくないとかそんなんじゃなく、当たり前のようにそうだった。でも最後に花を添えて顔を見て、やっと意味が分かった。もう会うことはないんだ。最後のお父さんの言葉、きっと忘れないと思う。親に喪主なんかさせちゃ絶対ダメだって思った。


写真はそのまま持って帰ってきた。いい顔で笑っている。そのまま部屋においてある。こういうのいやかな。いいよな、そういうの嫌がらないやつだったよなきっと。笑ってるとこしか思い出せないって言われてた。ほんと、いっつも笑ってたな!


いつも誰かに救われながら生きていて、それは崖っぷちから引き上げてもらったとか、話を聞いてくれたとかそういうことじゃなく、私に興味を持った数少ない人間によって、その瞬間、その瞬間、かろうじてどこかに属せているということだ。地球上で誰一人私に関心がなければ、私は何処にも属せないのだから。だから、世界と私を繋ぐ役目をしてくれた人間が、人生のいろんな時期で必ず存在する。こいつがいなければ、その後の人間関係は築けなかっただろうと思わせる奴が。そして、確かにそういう人だった。顔を出すと、いつも笑顔で走り寄ってきた。「マナベに声はかけた?」「マナベは来るの?」っていつもいつも名前を出してくれた。連絡をくれた。そうだ。こんなに感謝してもしきれないのは、きっと一番最初に仲間の一人として扱って貰えたからだ。こんなふうに今帰る場所を持てたのも、彼女がいたからだ。そんなこと、きっととっくに忘れちまったんだろうけど、私は忘れない。直接伝えることができなかったけれど、ありがとう。


帰宅した日の夜に、由梨から、少し早いけど無事生まれましたって報告があった。なんかもう命って不思議だ。