先生

思い出せる限りで一番最初に唖然としたのは、小学生の頃、シャープペンシルを使用しないようにという規則を聞いた時だった。まだ十にもならない子どもなのに、呆れ返った。それが使用されていないか血眼になって確認してまわる様は滑稽だったし、この人たち暇で仕方ないんだと心から思った。そうして、唖然とする事柄は、増え続けた。十年以上も。毎日繰り返される持ち物や服装の検査、体罰。まだ柔らかい子どもの頭を殴って陥没させてしまった教師もいたし、鉄バットで思い切り殴られるなんて日常茶飯事だった。髪を染めた野球部員がバリカンに抵抗して頭を血まみれにしていた。弟が進学したばかりのある日、担任に思い切り張り倒され、鼓膜が少しやられた。そうされた事にたいした理由はなかった。そういう、ちょっと病んだ地方で育った。まぁなんというか昭和。


中学生のある朝、万引きしていると思う人の名を書くようにと紙が配られた。どんだけ捏造できんだよと呆れたが、思ったとおり真面目を絵に描いたような友達が放課後指導室に連れて行かれた。逆上して乗り込み、いい大人が何やってんだと罵ったけれど、部外者だと追い出された。暗くなるまで扉の外で待ち、泣きながら出てきたその子を迎え、教師に恥を知れと吐き捨て、雨の中家まで送った。あんな連中が教育者と呼ばれるこの国を恥ずかしいと思った。そんなことがいくらでもあった。職員室にも怒鳴り込んだ。あんた達が今言うべきことは、そんなくだらないことしかないのか?って何度も何度も聞いた。私はもちろん嫌われていたし、まともな返事なんてもらえなかった。帰宅して親にも聞いたが、思うような答えは返ってこなかった。そのうち、バブル時はたいした競争率もなく教員になれたってことや、社会で最も嫌われるのは、おまわりと教師で、理由は意味もなく横柄だからだと知った。ああ、そういう種類の人間に期待しても無駄だったのに。


一人だけ大好きだった先生がいた。十三の時会った。国語の教師で、さすが中学にもなると格が違うなーと嬉しかった。その人は毎回文章を読んだ後、情景を絵で描かせ提出させる。テストで良い点取るためのことなんて何一つ教わらなかったけれど、学ぶという意味ではその授業だけが唯一楽しかった。三ヶ月ほどでその先生はいなくなった。産休代理だったようだ。どうしようもなく悲しかった。それでも、それから六年間、国語の成績は何もしなくてもトップ、もしくは上位だった。最初に大切なことを教わったからだと思う。学ぶというのはそういうことなんじゃないだろうか。例えば歴史で、面白おかしい語呂合わせばかりくりかえす。年表と名称を覚えても、その時実際に何が起きたのか、何に影響したのか、その時を生きていた人々はどう感じたのか、何も知らずに、当時の人々にとっても失礼なんじゃないかと思えるような語呂合わせばかりを教え込まれると、全力で忘れたくなる。面白い語呂を考える教師は人気があったけれど、私は情けないことだと思う。教えるとか学ぶとは、点取り合戦上にあるものではないと思いたい。集団自決とか省略している場合ではないし、昭和天皇と帝国軍がアジアの人々にどれだけひどいことをやらかしたのか、被害者は自分の家族で想像してみてくださいってくらい言えなきゃダメだろ。


教師だからと過剰な期待をうっかりしてしまっただけで、大人なんて全体的にくだらないもんだ。そして、私もくだらない大人になった。だから、たった一人でも、尊敬できる人に出会えたのはとても幸せなことだ。今はどうしているんだろう。