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不明

自分らしい孤独

思い返してみると、一晩の浮き沈みの激しさに呆れる。手の掛かる自分にはもっと呆れる。頭で理解していても、沈む時は沈むのだ。いや、理解できていないんだ。理解している、でも見誤りたくはない。信頼したい。自惚れたくない。いつも、そういう境を泳いでいる。でも、見失わずにいつも根底にあることは、楽しんでいて欲しい、幸せでいて欲しい、笑っていて欲しい、たったそれだけのことで、だからこそ自分の手で邪魔をしたくない。私は変わっているんだろう。過去に相手の浮っついた気持ちに寛容だったのは、怒るとか妬くとか以前に、邪魔をしたくないなと思うからだった。この人の楽しみの邪魔をしたくない。応援したいとさえ思う。卑屈になっているわけでもなく、奇麗事でもなく、できる範囲で自分のできることをしてやりたいと自然に思う。逆に私がいるために、何かを我慢されるとかは耐えられないことだ。どこか壊れてるのか。人に理解されることなんてなかった。ただ寛容なのだと思われたり、無頓着なんだと思われたり、鈍感なんだと思われた。そうじゃなく、優先順位の問題なのだが。


何も言わない。何も求めない。客観的にどう見えるのか知らないが、態度にも出さないと思う。出したいけれど出せないとかじゃなく、ほんのわずかな煩わしさだって感じてほしくはないだけだ。なのに何故全部気付くんだろう。肝心なことも肝心な時もその理由も、なんで全部分かるんだろう。そんなこと話すわけじゃないけれど、態度を見れば分かる。勘違いではないと思う。優先順位も言葉の重みも動機も行動も全部ぶれることがない。しかも分け隔てない。こんなに信用に足る人が、いるもんだろうか。何者なんだ。たった一つ分からないのは、自分の立ち位置だけだ。それはとても楽しいことだけれど、自分のできることが明確でないというのはとても難しい。ま、あと少しだけ、この不明を楽しもう。