大掃除の昼食休み

あの狭いキッチンだけで半日以上かかってしまうとは。今日明日で終わるか心配だ。掃除をしていて思った。私はとても綺麗好きだとか几帳面だとか汚されるのを嫌うとか言われるけれど、それはちょっと違う。ただ大切なものがたくさんあるんだ。たくさんあるというか、大切なものしか生活に加えていない。


例えば、少しずつ私の足型に沈んでゆく下駄。長い時間かけて育ててきたそれを人が勝手に履きまわしたら嫌だなと思う。自分のひざの位置で型が出来上がっているジーンズを勝手にはかれるもの嫌だなと思う。そんなものがありすぎる。土鍋も酒器も本棚も本もバイクや窓や畳、いや家ごと、傷も痛みも丸ごと自分との歴史として大切に育ててきたものに囲まれて生活している。少しずつ付く傷、汚れ、馴染んでいく色、実際のモノよりも、そういうものが大切。私はビンテージには何の興味もないけれど、自らと作っていく歴史が、物語が好きだ。だから、そういうものを台無しにされるのはたまらないし、本当に再起不能にしてしまったモノに対する人の態度といったら。私がどれほど大切にしていたかを知っていても、買いなおせばよくね? 新しいの買ってあげるよ。とかさ、何故誇らしげに言えるのかなと思う。一緒に暮らしてきたんだ何年も。それはもうこの世にたった一つしかないものなのに、なんて事言うのかと思う。私には、誰かが死んだ時、また生めばよくね?って言っているのと同じように聞こえる。代わりなんてないのに。まぁそれでも過ぎた事を言っても仕方ないし、大人だし、色んな思いを飲み込んで、そうだねそうしようかって。そうして無理を重ねるうちに自分が少しずつ磨り減ってなくなっていく。


食品を捨てるという事にも耐えられない。だから目の前でそうされ続けると、やっぱり自分が少しずつ死んでいく。季節や時間によってかわる、風の匂いを愛している。のに、部屋中、変な香や香水や合成洗剤の匂いで部屋中満たされると悲しくなる。許容しようとしても、大人になろうとしても、すればするほど自分が死んで薄っぺらくなっていく。こういう事柄は、几帳面って言うのかな。少し違う気がする。