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三十路

さっさと三十路になりたかったけど、十年の付き合いだっただけあって、お別れする日は意外と感傷的でした。この十年の事を色々思い返してみたりしようと思ったんだが、特に具体的なことが浮かんでくるわけでもなく。ただ、けっこう幸せだったというか、特別不憫な思いもぜずに、だらだら生きてこれたことに改めて感謝したくらいでしょうか。十代の頃の記憶なんてほぼ無いので、私の記憶にある出来事はほぼこの十年間で起きたことなのかと思うと、深いような浅いような。よくわからん。


そんな中ふと思ったことといえば、生誕に限らず大雑把に祝いについて。長い間、私は祝われ下手だなあと思っていたのは、それほど感動屋でもないからだと思っていた。でもなんとなく理由が分かってしまった。祝い事や祭りは基本的に大好きだし楽しいけれど、自分本位な動機が嫌いのようだ。まず、センスをアピールするためにされるそれは嫌い。感動を強要されすぎるのが嫌い。サプライズにこだわりすぎて本来の気遣いが全くできていないのが嫌い。思い通りにいかなくて、拗ねたり落ち込まれたりするのはすごく迷惑。そもそもそれって祝う気あるのかと。こうやって並べて書いていると私は本当に性格が悪いとよく分かるな。祝ってもらっているだけでも有難いのにグダグダ言うなと。でも祝われる側が過剰な期待をされすぎるって辛い。カウンターの中の人じゃあるまいし。


改めてこんなことに気付いたのは、えらく感動してしまったからであり。好き嫌いや行動が比較的はっきりしている中、色こかれる以外の好意に対して非常に優柔不断な人なんだと思う私は。体調不良だったり、どうしてもやりたいことがあっても、必ず誘いに乗るとか、自分を訪ねてくれた友人や、頼ってきた人には全力で力になりたいとか、自分から人に興味を持たないくせに、自分を好いてくれる友人はすごく大事にしてたりとか、進められた酒は飲み干すとか、もう祝いとか全然関係なく全体的にそういうことなんだと思う。自分では人を選ばないけれど、選ばれた時はしっかり答えたいのだ。そういう性質が、たまに地元に帰った時とか、たまに祝われる立場になった時に派手にキャパを超える。


そんな時、何も考えてないわけ無いんですよ。優柔不断なりに優先順位や立ち位置はもっている。それより何より前面に出せなくても自分の希望だってある。でも好意には答えたいの。だってわざわざ私を思い出してくれたんだよ。義務とか義理とかじゃなく感謝の気持ちでしょそれは。自分で言うのもなんだが、私は裏表のないやつだと思う。毒は吐くけど腹に溜めないし、対面上お義理で何かするってこともない。それを酌まずに、怒ったり拗ねたりされるとガッカリする。私のそういう気質を何故一ミリも理解されない虚しさ。そうだ。いろんな場面でこんな虚しさが今までたくさんあった。


私の希望と実際の状況。そこまで酌んでくれて、一足先に祝うから、当日は存分に遊んでらっしゃいって。こういうところがほんとたまらんなあと思う。や、妄想なんだけどさ全部。こんなに嬉しい贈り物は初めてだった。貰って一番嬉しいものって、物とかじゃなく、それに費やした時間とかはとても嬉しいけれど、それより何より相手の立場に立った気遣い、先読みしたものならなお更だなぁと。そして私の気持ちを酌んだ上での、信頼があってこそ成り立つ気遣いだ。こんな日を覚えていたことに驚いたが、前々から準備をしていたのを知って更に驚いた。きっと私を祝うためにこつこつと準備をしていた唯一の人。その人が言うんだ。いってらっしゃいと。泣ける。それを受けて、ありがとうと早速飲みに行く自分もどうかと思うが、駆け引きなんかじゃなく本音で言ってくれたんだろうと信じられるからこそ、有難く受け取ってみた。全部妄想だけど。信頼してもらえる、信頼できる。こんなに幸せなことはないなあ。独り者だからこそ、そんなことをしみじみ感じられました。妄想だけど。