やってしまった

いつものように、誰かが隣で、どこだかの犯罪について語りだす。分かりやすい悪について、犯罪者の心理について、ひどい、ひどい、ひどい、と繰り返される単語。そんな言葉を、聞いているような、いないようなふうでやり過ごすことはできるようになった。だから、こちらに話を振らないで欲しい。「あんたはどう思うんだ」なんて振られても、のらくら笑って流せるほどにはまだ成長できていない。

自分と全く関係のない分かりやすい悪事を糾弾することはなんて簡単で無意味だろう。そう言いながら、善人面した我々が、とても卑怯な方法で日々人を、生き物を殺しているのに。そう言ってしまうから、放って置いて欲しい。いつものように、「そんなデカイ話をしても仕方がない」と返ってくる。そうだろうか。どこだかの知らない人が、既に起こしてしまった重犯罪について、ゴシップ的興味であれこれ語ることこそ、ずっと無意味に思えるけれど。私にとっては、そんな週刊誌のような話より、自分と関わる世界を見て知って考えて動くことの方がよっぽど有意義だ。そもそも同情の言葉を発しつつ興味本位で酒の肴にすることは、失礼だと思う。そうして今日もやってしまった。私の言葉は、人を白けさせる。だから黙っていなくてはいなくてはといつも思っているのに。酒は、飲めば飲むほど、それを緩ませる。理性が飛ぶほどには酔えないから、いつも「やってしまった」と反省して終わる。私はつくづく詰まらない人間だと思う。

人は太古の昔から、侵略しながら、奴隷を使いながら、些細なことで被害者面してきたんだきっと。だから今更な話なんだろうけれど。でも今は学ぶことができる。他国の本や映画やネットに触れても、感動しましたと言っては毎回忘れる。知ってからそれをするのは、「知らないふり」でしかないのに。身近で言えば、召使つきの生活に憧れる大人について理解できない。本来上下などないはずの人間に対して、自分のために働けと言う。それは仕事の都合上家政婦を雇っている人のことではなく、例えばアジアなどに赴任になった旦那について行ってメイド付き大邸宅に感動する連中だ。マンゴーの話をしていても思った。九州だろうが沖縄だろうがアジアだろうが、どれもそれなりに美味しい。値段の差は味よりも、そこで働く人々の労働に対して支払われる賃金の差。うん。次こそ笑って流そう。