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はるかニライ・カナイ

穴を掘り木を植えて あなたの歌を歌うため

はるかニライ・カナイ

成長過程の子どもは灰谷健次郎の作品を読んだらいい。私は大人になってから「太陽の子」を初めて読んだけれど、もっと早く読むべきだった。教科書にたくさん載ればもっといい。これは一見ありがちな、都会の子が島に来てかわっていく話のようだけど、読者も子どもだってことで違ってくる。都会で上手くやっていけずに慶良間に来た中学生は、生きるということを知り、楽園のような島の過去に行き着く。読者は彼女を通して島の幸せや苦しみをだんだんと知る。全部あたりまえのことだけど、忘れちゃいけない大事なこと。


抜粋

南の島の人間は、みな、そうじゃ。木に実がなるじゃろ。三分の一は神様に感謝して人間がいただく。三分の一は子孫のために残しておく。あとの三分の一は、人間以外の生きもののために、手をつけずに、やっぱり残しておく。

金に目がくらんだかわいそうな連中だ。人間は、ものを金にかえるようになってダメになった。ものには、みな、いのちがある。連中はそれを忘れている。

沖縄の人間は肝苦さ(ちむぐりさ)の心を持っていた。人に同情するのではなく、相手のことを思うと、自分の胸が痛むというわけだ。自分が傷ついても、他人を傷つけてはいけない。

日本はかつて外国へ軍隊を送って戦争を起こした。この戦争を拒否した人間の、いちばん多かった県が、沖縄県だったんだよ。徴兵拒否といって、これは、そうする方も、いのちがけだ。国の政略に反対するんだからね。獄にぶちこまれたり、逆に、激戦地に送られたりする。徴兵拒否の心は、肝苦さの心だ。自分が傷ついても眠ることはできるが、人を傷つけては眠ることはできない、という心だね。昔、日本の国では、床の間に、カブトやヨロイ、そして刀を飾っただろう。沖縄では、そんなものは飾らない。飾ったのは三線だ。文化のほうが武器より上だと、昔の沖縄の人は考えたいたんだね。

暮らしは苦しくても人の心が荒むことはなかった。今はそうじゃなかろ。それがなさけない。

残念ながら、この島で起こされた戦争は、もとをたどれば、日本軍の侵略戦争からはじまっているわけだね。

人が勉強するのは、えらい人になるためじゃありませんよね。人が勉強するのはいい人になるためですよ。

わたしはこんなふうに考えたんだ。島の人は許すべからず二つの敵に殺されたんだ、とね。一つは実際に爆弾を落として、島の人の血肉を飛び散らせてしまった相手、そして、もう一つは他国に攻め入り、略奪、殺人をはたらいた日本軍、そんな日本軍を作って、それを命令して動かした人間、この二つの敵が、島の人を殺したんだ。

こういう話を聞いて、どこか遠い場所の話と切り離した上で、「そうだよね」って簡単に言えるけれど、切り離しちゃいけないんだ。現代人は他の生きもののためじゃなく、ダイエットのために食事を残す。でも死んでしまったものをいくら残したところで生き返らない。自給自足をしていないものができることといえば、必要最低限以上は購入しない、無自然なものは購入しない、生産させないということになる。勉強って良い大学に入るためのもんじゃない。知って考えて動けるようになるためなのに。先日、反基地、反戦より経済振興が優先されることが決まった。基地を軍隊を軍人を支援している全ての人に言いたい。人を傷つけないために徴兵拒否をして死んでいった人だってたくさんいたことを。北部が潤うなら仕方ないだなんてよく言う。おらだって日々税金を払うだけで支援しているのだ。