生贄

平和ボケだから悪と戦いたいとか、刺激を求めてるとか、そんなことは全然ない。私はほんとにほんとに毎日平和だし、笑ってるし、楽しいことばっかり。でも、どんなに笑って騒いでるときもいつだって消えないものがあるのだ。私の平和は誰かを犠牲にして成り立っている。誰かが毎日笑って贅沢になに不自由なく暮らすってことは身代わりを用意するってことだ。私が口にするものや使うものが必ずフェアなやり取りで海を渡ってきたものではないし、虐殺や侵略を黙認どころか手助けするという契約の元に、今この国が在る。目の前で殺人事件がおきれば悲鳴をあげるんだろう。もしかしたら、牛や豚が絞められるのを見るだけでそうなったりもするんだろう。どこか遠い国のことだから、たまたま貧富の差のあるところに生まれたから、政治屋が勝手に決めていることだから、直接手を下しているわけじゃないから、だから見て見ぬ振りをすれば問題ない。そんなはずない。

心から笑っているときでも、事実が自分に張り付いたままはがれない。独りでやっても仕方ないとか、何をしても無駄だなんて少しも思わないけれど、逆に何をやっているのかと言われれば何もやっていない。何をしているときでも、その事実を常に片隅において置けるようになった。私は人を生贄にして笑っているんだと。しかも、成す術もなくではなく、自らの意思で。29年もかかってまだこんなところにいる。たいした苦労もせずに、寝る場所がある食べるものがある仕事がある人権があるそんなことが時々無性に悲しくなる。これらは誰から取り上げたものなのか。返さなきゃ。