文学という名の少女漫画

家に山積みされてた誰かの忘れ物、山田詠美著書を数冊読んだのち、その中の第30回女流文学賞受賞作「トラッシュ」について。こういう、主人公が顔が良くて優しくてお洒落な仕事してて男うけがよくてモテるのに真面目な恋愛してて何故か必ずといってよいほどゲイの親友がいるって設定の読み物はとても気持ち悪いと言うか、きっと文章だと際立っちゃうからいっそのこと少女漫画だったら無難に読めるのにと思う。中身も少女漫画だし。アマゾンのレビュー見たら書いてあったのが「学生時代、美人でタフで優しくて恋愛上手な女友達はいずれもこの小説に敬意を払っていました」。これだ! これに集約されてるよ。この無意識の「ステキ主人公に共感できる何故なら私もステキですから」論法が苦手。仕方ない苦手なんだ。


印象的だったというか衝撃的だったシーンを。恋人が、容姿をネタに他人をあざ笑う。女は驚く。なんてことなの。私の彼はもっと高尚な人だはず! きっとこれは若さゆえのアレだ。間違いない。そうしてなんだか育ちも良くて人懐っこくてルックスも良くて友達も多くてモテモテな年下の恋人は彼女と過ごすうちに人を思いやることまでできるようになりました。うふ。終。いやもっと言わんとしてることはあるんだけど、この辺がぷんぷん匂って余計なもんばっか見えちゃう。恥ずかしくて直視できねーっつうか。心を書くなら無駄な装飾は削ぎ落とした方が綺麗。山田詠美は人種の話や恋愛に重きを置きすぎてるところが敬遠されがちな人だそうだがそんなことはどうでもいい。そうじゃなくて、この人が装飾として付け加えるステータスが素敵に映るか煙たく映るかが全てだ。おらはこの手のステイタスを素敵属性と感じる感性が決定的に相容れないってそれだけだ。何をもって素敵かという価値観が反対側にあるもんは無理なのだ。そんなだから世間受けするものの大半が無理なのも納得。で、どこが衝撃なのかと言うと、そこで「こんなアホと付き合うほど暇じゃねぇ!」とか思って別れちゃいかんのだな。長い目で見てるといつのまにか何もかも理想的に育ってゆくから待てと。そんな教訓を得ました(?)


〜読む度増えるおまけ〜

A2Z
腕もよくビジュアルも良い旦那とは良きライバルなキャリア女。若いけどしっかりした恋人がいて、尊敬する若い作家にはドロドロしない程度に好かれてて、やっぱりゲイの友人がいて、旦那が小娘に走るも自分の圧勝でした。もふふふふー。終。絶句なり。こんなのどうやって嗜むの!?「その気持ちわかる(はぁと)」とか思うの?


アニマル・ロジック
引っ張った割には陳腐な終わり方を。そしてやっぱりゲイの友人が! だいたい日本で白人黒人の差別問題を取り上げすぎることは軽い逃げに思う。白人だろうが黒人だろうが我々アメリカコンプレックス丸出しの日本人から見ればどちらもクールだろうし、とんちんかんな憧れの対象だ。そんなもの我々が見ればやっぱり「差別なんてねぇ」と思うのは容易! 一番身近な差別は対朝鮮なのに。それどころか、アイヌだったり無意識下に琉球人だったりもしている。差別される側の女性が、美しく素晴らしい体をしていて自由奔放で誰からも愛されて、いい男らを手玉にとって、でも必要な人間だけを必要な時に選び取っていく。日本人をターゲットにする場合、その差別されるはずの女性が「黒人」というのは、話を読み進める上でいい餌だ。この語主人公が朝鮮人だったら、同じように羨望の眼差しで読む読者は確実に減る。ようするにこの手の癇に障る餌がどれを読んでもチラチラしているのだ。それは戦略だろうし賢いやり方だけど、その程度の餌を撒かなきゃいけないようなものがいつも受賞するのは嘆かわしいし、私はその手の餌が大嫌いだし、それはただの個人的趣向の問題でした。人は傍から見て、または誰かと比べて素敵ライフに映らないと嫌だって事を嘆いている割に、誰よりもそう思っているのはこの人なんだろうね。見栄っ張りなんだ。


風味絶佳
格好良いばぁちゃんが素敵だとは思わない。どんなばあちゃんだって普通にみんな格好良いんだよ。だからやっぱりそんな餌いらん。