バーバー吉野

バーバー吉野


ネタバレな挙句、作品とは何の関係もない話。


ものすごい演劇臭の中、閉じた村社会を除き見ているつもりが懐かしさにやられちゃう映画。"元こども"なら覚えがある空気に溢れている。これは思いやりをもって解決という単純で綺麗な話だが、本来の閉じたコミュニティとはもっと黒いものだと思う。いや開けたコミュニティもじゅうぶん黒いけど。でも、狭い世界は黒さを際立たせる。


作中で、コジャレた頭の子と付き合うなと親に言われる。その時は疑問に思った子どもが、親になり同じ台詞を吐くのが閉じたコミュニティ。子どもの頃の気持ちのまま、「何かがおかしい」「まず自ら変わらねば」「人目を気にしちゃ何もできない!」と思った者はどうなるのか。閉じた世界ではそれは異端になる。広い世界は異端が集まることでコミュニティを形成できるが、村社会の異端は孤独だ。自分が異端であることを隠し、そして時と共に忘れるか、完全に異端として生きるしかない。ネットの普及と共に閉じきれなくなってきたけど。流されるだけでで脳みそも使わないから、村八分が未だ起こる。疑問をもち、自分で考え動く異端者が実はどれだけ正常なんだろう。正常ってものがあるならだけど。「だって昔からあるし」とか「母ちゃんが言ってるから」とか「みんなやってるもん」なんて台詞はいい歳こいたら使用禁止! みっともない。


みんながやってたから… みんなが脱税してるから自分もやっちゃうことより、捕まった時「みんなやってるじゃん!!!」と、わけのわからない言い逃れをする行為の痛々しさ。みんなやってるからなんなんだろう。頭を使わず自ら流されたのだ。最近にぎわったニュースのように、「もの好きもいるんだなって」とか「臭かったから」とかテレビカメラの前で平然と話すことを恥ずかしいと思えないのが村社会。自嘲することを学ばないまま大人になってしまうのは恐ろしい。閉じたコミュニティーは、村社会はそういう黒さをもっている。反発することが美っていう話しじゃなくて、変化を尊ぶとかでもなくて、流されず、「この文化がこの伝統がこの景色が好き!」と自分の言葉で自信を持って言いえる人間でありたい。