結婚について思う

同性婚について語られる時、私は上手く対応ができない。まず戸籍制を心から要らないと思っている。人は勝手に(自分勝手という意味じゃなしに)生きて死んでけばいい。自分の中に生まれた感情を国や神に認めていただいたり、誓ったりする必要はない。誰に認められなくても、血を分けていなくても、そう思い続けることで家族って関係を築くことは誰とでもできるし、認められることなんかよりもそうやってずっと思い続けられる人に出会うことのがずっと難しい。私は自分を産んだ人たちを家族だと思っているが、それは血の繋がりとは関係なく、あの人たちだからそう思った。影響を受けているのは置いといて、あの人たちはとても私の好みだったってことが大事だ。血がつながってようがなかろうが、そんな人に出会えるのは稀なことだと思う。何の約束もしていないのに、誰かが最後の時まで私の側に居たとしたら、そんなに嬉しいことはないから約束も契約も誓約も要らない。それだけでいい。国の制度もお役人もアホだと思っているのに、そんなもんを介在させるだなんてなんかに汚されるみたいだ。


教会での挙式も同じ。無神論者の癖になぜ急に神や神父に誓ったり、おぞましい賛美歌を歌ったりしなきゃいけないのか。台無しだ。だいたいキリストが絡むことは何もかも気持ち悪い。あんなに大好きだったクリスマスまで、今じゃ普通の日になってしまった。ジーザスもオーマイガッも嫌。やつらがどんなに狡猾にそれを広めたかを思えばどんな場合も関わりたくない。人の式とか行くけど、それは花嫁さんが本当に綺麗でもうそれしか見えないし、祝えるのが嬉しいからいいんだ。とにかく世界規模でそれをネタに人を殺しつづける一神教なんて要らない。どうしても何かにすがりたいなら、八百万や太陽やご先祖様でいいじゃないか。


結婚制度なんてイラネ―と言うと、マイナス面を上げられる。それは税金のことだったり、社会的信用だったり、遺産や看取るって話だったり。そんなの損得の話に聞こえるし、自分の意思に比べたら大した問題じゃない。扶養より税金引かれちゃうならくれてやればいいし、社会的信用なんて別に今だって持ってないしむしろ要らないし、遺産なんて残さないし、もしあったとしても住居のことも含め生前になんかしら手は打てるもんだ。急に死ぬかもしれないなんて言うが、もちろんその急に備えて手を打っておくべきだ。いくらでもできる。自分が他に家族と呼べる人がいるなら、それはこっちがどう思ってようがどんなに遠かろうが血の繋がった人間を指すんだけど、その人たちの理解ももらっておけば完璧だ。そうできない人もいるだろうが、別に自分の話だから関係ない。私の相手のご家族がっていうならそこは諦めるだけの話だ。それ(例えば看取るとか)を諦めたところで私が世界一不幸って訳でもないし、重要なのは生前だ。そんなことのために重たく生きてくくらいなら、最後の最後までバカみたいに笑って散ってやる。