蔡温(さいおん)

新聞の片隅のコラム。面白かった。

名護に「ひんぷんガジュマル」と呼ばれる樹齢約300年の大樹がある。ガジュマルの横には「三府龍脈碑(さんぷりゅうみゃくひ)」と言う碑石があり、それがひんぷんに見えることから「ヒンプンシー(碑文石)」とも呼ばれた。そうして、いつからか、大樹には「ひんぷんガジュマル」と名が付いた。


1750年。琉球王政府では、名護に首都を移そうとする「名護遷都論」と運河を切り開こうとする「運河建設論」が持ちあがっていた。その時、時の三司官(現在の総理大臣に相当)であった「蔡温(さいおん)」が風水的観点から批判したものがヒンプンシー。蔡温は、中国(福州)で風水と地理を学び、風水術を利用した農林・土木事業を行った。その活用法は琉球独自の風水として発展していく。島内の気が風で拡散しないように防風林の殖樹(備瀬のフクギ並木や辺戸の松並木など)や風水上、重要な場所の伐採を禁止する事により自然環境を保全し、その風水思想は王府や庶民に後世まで受け継がれた。


ヒンプンシーには「琉球は龍脈(生気)が綿々と貫く一個の有機体であり誠に福が溢れている。運河の開発や丘を切り開いたりするのは龍脈を切られ国土の気勢を失う事になるので反対である。二度とこのような議論を起こしてはならない」というような銘文が刻まれている。そして、「永遠に後世の民にわが山脈が国家(琉球)の景運に深くかかわり、万山みな相連なり理をなすことを知らしめようとするものである」と結ぶ。


ちなみに風水師は、琉球時代には在職した。「T字路の突き当たりに家を構えるのは良くない」とか「住宅は南向きに建てる」、「門と玄関は一直線になってはいけない」など、今でもこの土地に生きる理は、風水に基づいている。また、亀甲墓やシーサー、石敢当、ヒンプンなど、未だ沖縄に伝わる多くの文化は、風水と関係が深い。島人は小さい島に住むが故に、より地形や水系を読み解き、大切に活用しその恵みを受けてきた。そして、中国から知識・技術の体系である風水を学んだ。それは政道の理にもなった。

蔡温の忠告から250年余。辺野古を切り開き景運を奪おうとする外圧が働く。彼らはその結果にどれほど責任を持てるのか。選択は、結果を背負い生きる者が行うべきものだろう。


何百年もかけて代々守ってきた自然。政治的圧力とか、軍事とか、ましてやお金とか、そんなくだらないものと変えられるもんじゃない。